「投資」という名を借りた「詐欺」

資産運用

「投資」とか「投機」などと言われている世界に身をおいて30年以上が経過
そんな人間ですから「投資は正義」という立ち位置(笑)
相当に偏った見解となるかも知れませんが、あるひとつの視点から眺めるとという程度で
なんとなくお付き合い頂ければ

芸能界で「投資詐欺」なるモノが話題となっていますが
「詐欺」を行う場合に「投資」という表現が使われたり
投資に失敗すると「詐欺にあった」という表現が使われたりしていることが多々ありますが
詐欺は何処まで行っても詐欺であって
投資は何処まで行っても投資であります

例えば、同じ1000万円の損失を被ったとしましょう
詐欺は最初から1000万円が消えてなくなる運命です
ですが投資は2000万円にも3000万円にもなる可能性があるわけで
1000万円が消えてなくなったのは結果

最初から1000万円が消えてなくる運命の「詐欺」と
1000万円を運用し失敗して消えてしまった「投資」とでは
同じ1000万円の損となってもまるっきり違うわけです

とは言うものの、損をすれば一緒だというご意見もあるかと思います
それはひとつのご意見として正解でしょう
しかし、前提条件がまるっきり違うモノを一緒くたにするのは
少々どころが大いに乱暴な話になるのではないでしょうか?

もちろん「損をした!」ということをクローズアップした表現をし
被害者意識を高めて共感とか同情してもらいたい場合だと
前提条件など二の次でしょうから
「詐欺にあった」という表現は
表現方法としてはアリでしょうが
どうなんでしょうかね?

被害者を装って自らの責任を誰かに転嫁し
自分を慰める手段として「詐欺にあった」という表現をするのは
一時の感情を何とかするためには役に立ちますが
ものすごくマイナスではないでしょうか?

誰かに責任を転嫁すれば
損失した金額が返ってくるのならば
そういうこともありでしょうが
たぶん責任転嫁をしたとて
失った金額が返ってくることはないわけで
なんのプラスにもならない

投資の失敗ならば
それを学びとして
次に繋げることは可能でしょう

詐欺の場合、詐欺を防ぐことしか出来ませんから
永遠にプラス運用をすることは不可能
詐欺師にカモられてプラスになることは多分ないでしょうから

投資でも投資の名を語った詐欺でも
スタートを切るときには
何らかの理由があった筈です
その理由の中に「儲けられる」という淡い期待が
少なからずあったと思われます

一切儲ける気がなく投資をする場合も
中にはあるかも知れませんが
相当稀な話になるかと思います

そして、責任転嫁を進んでする方は
次にまた同じような目にあう可能性が高いわけです

良いとか悪いとかの話ではなく
「投資」と「詐欺」はまるっきりスタートラインが違うんだということです

まぁ、人間なんて弱いもので
責任転嫁をしたい気持ちは痛いほど分かります
日本人なんて特に他人の目を気にしますから
「あの人、投資で相当ヤラれたんだって!」
という陰口を叩かれるのならば
「あの人、詐欺にあっちゃったんだって、可哀想にねぇ」
と言って貰ったほうが、下手に嫌な気持ちを増やさずに済みますから

でもね、個人的に思うことですが
投資をするときには
人に言わないほうが良いですよ
投資以外のことでも
あんまり人に言わないほうがいい

余程の人間関係が出来ている相手とか
相談相手が専門家とかでないと
プラスのことよりもマイナスの側面のほうが大きいですから!

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